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場所については諸説あるようですが「山吹の里」伝説の地です。狩りの帰り道に雨に降られた道灌が、蓑を貸してほしいと通りがかりの民家の娘に頼んだところ、山吹の花を差し出されたという伝説。「孤鞍雨を衝いて 茅茨を叩く 少女為に遺る花一枝 少女言わず 花は語らず 英雄の 心緒乱れて糸の如し」。娘は雨をしのぐ「蓑」さえ持ち合わせない家の貧しさを「実の」ならない山吹に託して奥ゆかしく伝えようとしたそうです。道灌は当然?怒って「もうよい」と吐き捨てると馬を走らせて帰っていったそうです。後に道灌は山吹の花の意味を理解できなかった不明を恥じ、戦いだけではなく風雅の道をも極めたそうです。
江戸時代に江戸庶民によって立てられたもの。多分、今の学校じゃ太田道灌なんて教わらないかもしれない、教わったとしても江戸城を築城した、という程度だろう。
太田道灌が鷹狩りの帰りに雨に遇い、近くの民家で簑を借りようと立ち寄ったところその家の娘が盆の上に山吹をのせて出した。簑を借りたいのに山吹を出され道灌は腹を立てて帰ったが、後日、書物を読んでいたら{七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき}という和歌を見つけ、あの娘は簑が無いことを言いたかったんだとわかり、自分に学が無いことを恥じた。というのが太田道灌と山吹の里という故事の逸話ですが、この近くにある面影橋というのも、その故事をかけた名なんだそうです。しかし、この石碑は江戸時代に建立されたもので、本当の山吹の里は埼玉の越生だと言われています。
高田氷川神社 前から一方通行路の出口付近、神田川の面影橋の袂に据えられています。(2018.10.14現在・山吹の里の碑の背後が建設工事中でその防護壁の陰にあるため道路を走行中見過ごしてしまいます。要注意)