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明暦三年(1657)、江戸の街を灰燼に帰した未曽有の火災、「明暦の大火」が起こる。二日間の間に連続して3件の火災が発生し、江戸市中の大半が消失した大火災だった。伝馬町牢屋敷では迫りくる火の手に、牢屋奉行の石出帯刀が「火災が収まったら戻ってくること」を条件に、牢獄の罪人を開放した。しかしそのことが役人の間でうまく伝達されていなかったため、集団で脱獄する事案が発生したと勘違いした門番が、神田川を超えて逃げられる橋である浅草御門を閉ざしてしまった。そこへ浅草御門を抜けて風上に逃げよ
自分の住まいの近所に歴史的跡地が在るとは、気が付かなかった、江戸時代の名残のある両国橋や深川とか、時代劇等でよく名称が登場して岡っ引き等がそれぞれの地名を走り回っている光景が想像していた
赤坂、四谷、牛込の見附は有名だが、浅草橋にもあったなんて知りませんでした。木からミストが出てたり、トイレがあったりとちょっとした休憩に最適です。
「見附」は街道の分かれ道などに置かれた怪しい人物を見つけるために設置された番人のいるところという意味合いだそうです。江戸城には市中や城内に入ってこようとする敵を発見するために36箇所設けられていたんだそうです。赤坂見附、は駅の名前にもなってて有名ですが、この地にもあったんですね。
街の名の由来となったのが、この浅草橋。江戸城に36あった見張り番所の一つ浅草見附に架かる橋でした。橋のたもとには、その歴史を伝える石碑が建っています。