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御祭神は宇迦御魂神、相殿に誉田別命と猿田彦神を祀ります。創建は不詳ではありますが、室町中期高輪一円の総鎮守でした。江戸後期に大火により現在の石門、石大鳥居を残し社殿や宝物、古文書を失いました。現在の社殿は昭和55年造営されました。旧名は稲荷神社でしたが、高輪の総鎮守として昭和4年高輪神社と改めました。境内社高輪太子宮は太子堂とも呼ばれ、聖徳太子16歳の御尊像を安置されています。
山手線・京浜東北線の新駅である高輪ゲートウェイ駅を高台にある境内から見ることができる当社は、明応年間(応仁の乱後)に創建された高輪一帯の総鎮守である。境内には聖徳太子(厩戸王)を祀る太子堂があり、それを囲う石壁は精緻な彫り物が施してあり、信仰の篤さを物語る。1830年台に描かれた江戸名所図絵には、青山火事にて焼失する前の社殿等が描かれており、当時は神社の前には東海道(現在の第一京浜)とその先は江戸湾であり海に面した神社であった事がわかる。近年では、都営浅草線沿線の8つの神社による東京福巡りの神社の一つとして知られるようになった。
聖徳太子を祀っているそうです。東海道に面しているため、昔は参拝客で賑わったそうです。さらにその先はすぐ海岸線で、今とはまったく違った景観だったんですね。