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飛鳥山の碑は碑文があまりにも難解な漢文で書かれ江戸時代から読めない碑として有名だったそうです。川柳では"何だ石碑かとひとつも 読めぬなり" "飛鳥山どなたの墓と べらぼうめ" "この花を折るなだろうと 石碑見る" "誰の石塔か知らねえが、馬鹿馬鹿しく長い戒名だ"なんていう小話があります。 有名な石碑で、浮世絵にもじつにたくさんありす。 この石碑の下の広場は昭和12年のオリンピック開催予定で造成されましたが、オリンピック返上で幻のオリンピック公園広場と言われています。
題字は古文篆書で、本文にもまま異体字があり、難解と呼ばれる飛鳥山碑ですが、徳川吉宗の侍講をつとめた儒臣の成島錦江(1689~1760)の撰・書なので、きちんとした漢文で、文字は美しいです。山水名所などの石碑には自然石の青石を使うことが多く、この碑も例外ではなく、石面の凹凸によって碑文が判然としないことは往往です。実は碑陰に文字があって、格子の間から見て取れます。