全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
西国巡礼の途中に通りました。ここは、壬申の乱(672年)の翌年に天武天皇によって設けられた関所跡です。およそ100年間、関として用いられ、789年に廃止されたそうです。
古代東山道の関所の一つであり、「不破の道」と呼ばれたこの地の東山道に、壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置されました。 関所とは現代で言う検問所であり、人の往来や運搬の出入りを検査する役割を持ちますが、江戸時代ごろになると、関所での取り締まられる重要視は女性の出入り【出女】が主となり、その理由として人質として江戸に住まわせていた大名の奥方が国元に逃げ帰る事によって、幕府に対する謀反が起こらないようにする役割が大きくなった。 よって【通行手形】で本人一致しない限り出入りが
関ヶ原駅から徒歩で15分ぐらいの場所に、解説書きがあります。すぐそばの資料館でかつての関所の様子を学び、坂の下にある藤古川まで行くと、なぜここに関所が立てられたのか思いを馳せることができると思います。
夷狄の侵入から都を守るために設けられたと記憶してたくらいの知識しか無くおとづれた不破の関跡のこじんまりした資料館、初めて知る資料や教科書でうら覚えの和同開珎、土器、不破の関の再現模型等をじっくり見せて頂きました。