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国境と言えば山や峠、河川や海とハッキリわかるのが普通ですが美濃と近江の国境は小さい溝。平泉に下る義経に遅れた家来江口源蔵が近江側に宿をとる。それと知らずに隣の美濃の宿に泊まる静御前が源蔵の声を聴き国を隔てて話をしたことから「寝物語の里」と。義朝と常盤御前の伝説もありますが、俗物の私には「美濃の屁を近江の鼻に臭がらせ」「寝物語の屁は二か国へ響き」(古川柳)が似合います。
寝物語の里、近江と美濃の国境は、この碑の東10メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が「夜ふけに隣の宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。
岐阜県と滋賀県の県境に見落とすくらいの小さな溝があります。かつてはその溝が美濃と近江の国境となっていました。そこには国境の標柱が建っており、寝物語伝説の場所となっています。その昔、京都から奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が旅の道中で長久寺の近江側の宿をとりました。隣の美濃側の宿には義経の家来の源造が泊まっており、それに気づいた静御前が「義経に会うために、奥州まで連れて行ってくれ」と源造に懇願した、というやり取りがあったそうです。両国の宿に泊まる旅人が、寝ながらこの話をしていたことから、この土地の人々が「寝物語の里」という名を付け、今もなお語り継がれているのです。
近江と美濃の境界です。一般的に岐阜県は東海地方に括られますが、西濃地域は東海と関西の両面を持った土地柄だと思います。例えば、方言は関西弁に近いですが、味噌汁は赤出しです。