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三保の松原を対岸に望む古刹。古来より景勝地として有名であり、江戸へ上る琉球使節はここで感興に達筆を揮うのを抑えがたく、朝鮮使節も詩想を掻き立てられて数々の漢詩を残しているほど。13世紀作成らしい『男衾三郎絵詞』にはその松の洲浜に観音さまが天から現れた様が描かれており、単なる景勝地ではない、聖地としての松の洲浜という日本の原初の心象風景をかつては辿ることができた稀有な場所である。夏目漱石もこの寺のある興津を訪れては絶賛し、正岡子規あてに手紙を送っており、その文章を屏風に仕立てた
東海道沿いの要所にある足利氏や今川氏、徳川氏などとの関係の深い由緒のあるお寺。江戸時代には朝鮮通信使が宿泊。江戸初期に再建された山門を通ると立派な建物が並び、正面には仏殿があり、右手には立派な大玄関や大方丈が並んでいて、その奥には鐘楼があります。方丈や書院、庭園などを見るには300円の拝観料が必要です。
徳川家康公が幼少期、今川氏の人質として駿河にいる頃、当時の住職、雪斎禅師に教えを受けていた寺院。家康の勉学部屋も残されており、柱、欄間、床、違い棚は当時のまま残っています。
壮大な寺院ですね.東海道本線に参道が分断されているけど、その威容は往時を忍ばせるにはあまりある威風堂々しており、中央に急勾配石段、山門、右手に鐘楼、書院、中央に法堂へ進むと右手書院玄関口が待ち受ける.朝鮮通信使、琉球使の接待処として宿泊提供を行っていたとか。古き時代遡るとこの先蝦夷防備の為にここに清見関(関所)を設置したとか、時代時代において大きな役割をしてきた清見寺、咸臨丸の船乗りも写真が展示されている…今川氏で人質になっていた家康の勉強部屋が庭園前にあり、五百羅漢は山間部工事中でした。