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明治時代に松林の中で露出した頭蓋骨が見つかり、これを集めて弔った碑である。調査では戦闘時代の戦いの首実検後に葬られたのではないかといわれているらしい。
戦国時代の沼津は、北條家と武田家の勢力争いの最前線であったようで多くの人命が失われました。この首塚は明治になって大量に出土した頭蓋骨(昭和になって鑑定したら戦国時代のものだったらしい)を供養するためのものだそうです。
千本松原から掘り起こされたたくさんの首から上の骨。これは戦国時代の武田と北条の激しい戦いで、切り落とされた武士たちの頭の骨だそうです。これらの首を一緒に集めて塚が作られ「首塚」「お首さん」とよばれ首の上の病気の神様として信仰されるようになったとか。