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引馬城址は見ごたえあります。家康が浜松から全国制覇に乗り出した城はここだったのかと思うほど小さな城址です。三方原の戦いで負けて逃げ帰ってきた玄黙口(げんもぐちと読む)の小ささには2度驚きました。歴史の偉人もこんな小さな城から出発したんだと感慨にひとしおです。
曳馬城(引間城・引馬城)は、駿河守護の今川氏親が大永年間(1521~27)に築いたといわれる。その後、今川氏の属将であった飯尾氏の居城となっていたが、永禄
浜松城以前は曳馬城(引馬城、引間城)が浜松の拠点だった。築城者については諸説あるが、今川貞相が初めて築城したという。ただし、室町時代中期には三河国の吉良氏が支配していたことが判明している。曳馬城を西南方向に拡張した際、曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名・地名ともども「浜松」と改めた。江戸時代には米蔵などが置かれていた。明治維新後に東照宮が創建され、太平洋戦争中に焼失したが再建されて現在に至る。
浜松城から歩いてすぐあります。もともと引間(曳馬)城跡だったようで、小さな神社ですが、趣のある場所でした。神社の横に家康と秀吉の像があり、記念撮影できます。社務所はありませんでした。
⭐️徳川家康が浜松へ移るまでの荘園時代からの領主城址地、曳馬城自体の正確な築城年不明、1514年頃に今川家宿将/飯尾賢連が在地、その後飯尾氏が現在の元城町東照宮付近に小規模な平山城を築城し遠江の中心に❗️