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江戸時代の甲州街道のルート変更で無用の長物になるかと思いきや、残り続けてきたのが素晴らしい。北側にあったもう一基は昭和40年代頃に崩されてしまったようですが、通路がかつての道の位置を指しているのでなんとなく想像はできると思います。保存状態も良く解説板も詳しく、歴史・史跡好きにはたまらないのではないでしょうか。この辺りは90~00年代にかけて大規模な区画整理が行われ、古い道が消滅しているので昔の地図や航空写真なども参考にされるとよろしいかと思います。
江戸期から当時の旅人の目印だった甲州街道の一里塚。日野の渡しができる前は対岸の青柳から多摩川を渡りこの地を通過していた、と立て札に書かれていた。