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なぜ残さなかったのか謎
流山市域では珍しい前方後円墳で、古くから注目されていたが、急傾斜対策地に隣接していため長らく調査されることは無かった。
再開発で案内板だけ残存、前方後円墳の跡形も無くなった。
平成になってから流山市役所と住宅供給公社が前方後円墳を破壊しました。恐ろしいことです。宅地造成とか公園のためとか言い訳をしても、許されないことです。民主主義社会でやって良いことではありません。
鰭ヶ崎4号緑地の敷地内にある、三本松古墳碑です。
古墳を探しに行っても見つかることはありません。何しろもうなくなっていますから。古墳跡地と改名すべきでは?
2020年3月現在は宅地と公園の造成が進んでおり、以前あったらしい古墳の案内板や江戸時代の石碑は見当たらなかった。ここが古墳であることはわからなくなっている。唯一、急傾斜地崩落危険区域の案内板にある前方後円墳の記述を除き。