全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
承応3年(1654年)頃の小平地域は、玉川上水が開削されるまで、茅芒の生い茂る無人の原野で、「逃げ水の里」とも呼ばれていた。武州多摩郡岸村(現・武蔵村山市)生まれの小川九郎兵衛は、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。玉川上水の開拓に続き、野火止用水の開削を進め水の確保に努めた。明暦2年(1656年)、新田開発と馬継場の新設を願い出て、小川分水の開削を許可された。しかし、開拓は容易ではなかった。開拓の必要性を熱心に呼びかけても、地味で痩せた原野開拓を希