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小学生の時に行ったのが最初で、フェンスがなく遺構をしっかり見れました。発掘調査報告書も10次を数え、村山党山口氏築城という従来の説は伝説となっています。扇谷上杉定正書状でもこの周辺は扇谷上杉領だったことが確認できます。
「お城の跡」と聞いて、ここに見に来たとしたら、少々戸惑われる方がいらっしゃるのでは、と想像してしまう“城跡”だと思います。狭山丘陵の裾野を利用した平山城だと思うのですが、この場所や遺跡からは、想像力に乏しい愚生には、城の姿を思い描けませんでした。
「山口城跡」は平安時代末期に武蔵七党の村山党から分かれた山口氏の居館跡だそうです。東西200メートル、南北200メートルの範囲に、土塁と堀が散在していたそうですが、河川改修・道路・鉄道・住宅建設などによって破壊され、城の原形は不明です。これまでの発掘調査によって、「山口城址前」交差点付近に城の中心部があったと推測されます。
地元の山城。此処にくると、観光で訪れる天守閣のあるお城には無い、かつて此処に暮らしていた人々と、その後此処に暮らした人々とのつながりを感じます。
過去と現在が交差してる。土塁と看板のフュージョン。目に見えないカが集まり、気配渦巻く、まさに「交差点」。アップデートし続けるパワースポットといえるだろう。