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祟り神で有名な早良親王を祀った社で、『祟道天皇「社」』なんですね。鳥居がありますので神社には間違いないと思いますが、何か意図があるのでしょうか。奈良市内には他に、出屋敷や神殿にも『祟道天皇「神社」』がありますが、こちらが本殿だと思います。また、八島には御廟があり、有名な八ツ石もあって、その近辺にある嶋田神社は御廟近くにあった祟道天皇社と合祀されたということも言われてます。
平城天皇の大同元年(806)の草創と伝わり、怨霊を鎮めるために祀った御霊神社の一つです。国重要文化財である本殿は、桃山時代創建と推定される春日若宮本殿を、元和9年(1623)に移建したものである。有り難く、”崇道天皇社”の御朱印を頂きました。
崇道(すどう)天皇社。第49代光仁天皇の皇子であり第50代桓武天皇の弟でもある早良(さわら)親王(750?〜785)の慰霊の為に建設された崇道(すどう)天皇社。早良親王は長岡京造宮使、藤原種継暗殺事件への関与が疑われ、淡路島に護送される途中で崩御されました。崇道天皇と追称されていますが、歴代天皇には数えられていないとのことです。早良親王は御霊神社にも祀られています。
こじんまりとして静かな神社です。宮司さんも親しみやすく、月替わりの御朱印が有り、手彫りの判子などを使って凝っていますので、毎月訪れる楽しみになっています。専用駐車場もあります。
平安京に遷都した桓武天皇の同母弟にして皇嗣でありながらも政争に敗れ、餓死に追いやられた早良親王を祭神とする神社です。早良親王の死後、不吉と不幸が相次いだのにびびった桓武天皇は、親王に対して崇道天皇と追諡しています。皇位に就いたことはない親王を祀る神社が、天皇社とされているのはそのためです。早良親王にしても崇徳上皇にしても、皇室が権力中枢にあった頃の皇族は結構な頻度で悲惨な最期を迎えています。皇女の結婚相手が誰かで大騒ぎできる現代は、本当に平和でいいなあと思います。