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宇佐神宮の神様が、東大寺の鎮守社・手向山八幡宮へ向かう際、平城京へ入る前に郡山の地で休まれたことから、そのご縁で分霊された八幡神社のうちの一社です。
話好きなお婆ちゃんが凄く親切にしてくれます。神社が出来た逸話から、太平洋戦争時に灯籠が鉄回収を免れた話もそう。狛犬の雄雌の象徴が両方にあること、本殿のふすま絵の話なども写真を手に嬉しそうに話してくれるのでこちらも感情が入って楽しくなります。
平城宮の南、梨原の薬園新宮内に設えた神殿に迎え祀られりし、梨原の地は元々広大な薬園のあった所で、新宮の名も此に因ります。東大寺へ遷座の際、八幡大神の御分霊をこの新宮内の神殿に留めて奉斎し、由緒ある薬園の地名を冠して命名されたのが、創始とされています。
奈良時代創建の神社とは思えないほど、ふらっと立ち寄れる場所です。城下町郡山ができる前から存在していたなんて。初詣に行ったら奥様らしき方が「あまざけどうぞ」と声を掛けてくださった。ありがとうございます。
749年、大仏鋳造の守護神として大分の宇佐神宮から八幡神を勧請して創設されたことが『続日本紀』に記された由緒ある古社で、平城京南の梨原宮にあった薬草園に神殿を造って迎え入れられ、7日の悔過行ののち、東大寺に移ったとされ、その後、梨原宮に分霊して祀られていたが、1491年に大和郡山城築城にあたって、守り神として現在の材木町に遷座された。