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ここは紫香楽宮宮城跡ではない。甲賀寺遺構である。かつてはそう信じられていたが、2000年の調査によって北にある宮町遺跡が紫香楽宮跡であることが明らかになったそうだ。往事を偲ぶよすがになるものはほとんどなく、金堂や中門、経楼、鐘楼などのあった位置にプレートが置かれ、位置関係が分かるようになっているくらいである。訪れる人もほとんどないようで、人影を全く見なかった。構内に置かれた座席も風雨にさらされて汚れている。観光地とはほど遠い寂れた雰囲気を味わうには悪くないところだと思う。神社の榊だけがみずみずしく輝いていた。
聖武天皇による毘盧遮那仏の寺院を建てる計画があったが、不審火などが相次いで計画は頓挫した。ただ完全に計画がお蔵入りすることはなく、最終的に奈良の東大寺に大仏が建てられるよつになったとのこと。もし不審火がなければ、信楽の地に世界遺産が存在していたかも知れない(そもそも歴史上の東大寺の炎上もなかったかも)
江戸期の早い段階から礎石や瓦が出土し文献に記載, 1926(大正15)年には国の史跡に指定, 昭和全体と平成の約半分に亘って "紫香楽宮跡" として親しまれてきたこの地区ですが,
ひと通り巡りましたが、ずいぶんいろいろなものがあったようですね。今日は予備日として信楽までのルート走る積りで、途中のこちらによりました。参道を帰る途中に出会ったご夫妻が別の情報も教えてくれたので、帰り際に寄りたいと思います。信楽地区は昔、工場に勤務していた頃、ガラスを窯元で焼いてもらっていたことから、当時は何回か訪れた経緯があり、その景色にも馴染みがありますが、何と言っても焼きものの町ですね。こちらは…黄瀬地区にこの辺はあたるようですが歴史書によればこの都は途中にあやしの火かなにかで確か完成までには至らずに放棄されたのではなかったかしら?
参道前に数台の駐車スペースが有ります。紫香楽宮といって、奈良時代の天平14年(742)に聖武天皇が離宮として造営とある。何でこんな所に宮殿を作ったのか ?