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この城は南北朝の初期に、南朝の鎮守府将軍北畠顕家の子孫と称する浪岡北畠家の居城で、天正6(1578)年に北畠氏が大浦為信(後に津軽為信と改名)に亡ぼされ、廃城となったようです。
この城は、難攻不落と言われた名城です。青森県内、色々城はあれどこのような素晴らしい城跡はないね。桜の時期ツーリングとか通勤で通ると、桜が見事‼️。県内外の人も、ここが桜の名所なのを知らない。だからか混まないのでいいのだ。美しい城です。(2022.5.2時点、桜は散ってます)
2021年7月27日に見学しました。城主は、浪岡北畠氏で、1460年頃の築城です。南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠親房、顕家の子孫にあたると伝えられています。1562年の親族間の内輪揉めで勢力が衰えました。1578年に大浦為信(後の津軽為信)に攻められて落城しました。