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「木接太夫」坂上頼泰(1515ー1597)とは、征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫で多田院(源氏多田満仲ー武家の始まり、兵庫県川西市)御家人。安土桃山時代に接ぎ木の技術を開発し兵庫県宝塚市山本を中心に植木産業の礎をきづく。主君は足利義輝から豊臣秀吉へ、豊臣秀吉から「木接太夫」の称号を与えられた。日本三大植木の産地となる。他2箇所は福岡県久留米市、埼玉県川口市である。●ウィキペデイア、宝塚市資料などから作成。
坂上頼泰(さかのうえよりやす)は豊臣秀吉の挑戦遠征にも加わった武将。園芸技術にも優れ「接ぎ木」の技法を発明したことから秀吉から「木接太夫」の称号を賜った。この彰徳碑は1912(大正元年)竣工
阪急山本駅から西へすぐのところにあります。接木を発明した戦国時代の武士、木接太夫こと坂上頼泰の顕彰碑です。この辺りは植木屋さんや造園業が多く、頼泰公の功績は大変大きなものです。2017年には宝塚市の特別名誉市民となりました。