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1487年、当時桜尾城主で厳島神社の神主でもあった藤原氏の菩提寺として創建されました。尼子氏と大内氏の勢力争いにより藤原氏最後の代の興藤が滅び、この地は大内氏のものとなりましたが、その大内氏から重臣であった陶氏に移り、さらに厳島合戦で陶氏に勝利した毛利氏側へと変化しました。厳島合戦に敗れた陶氏は桜尾城(現桂公園)で首実検のうえ、この寺に埋葬されています。また、毛利元就の重臣桂元澄夫妻、元就の4男毛利元清の宝篋印塔もこの寺にあります。同寺に保存されている「正法眼蔵写本」は県の重要文化財になっています。