全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
現在の浦上天守堂は再建です。これは被爆した浦上天守堂のごく一部を移設したもので、終戦直後は大破していたものの、ある程度は形が残っていました。長崎市はそれを長崎の原爆ドームとして保存するという方針を決定しており、当時の市長である田川務も賛同していました。しかし田川がアメリカに訪問した後、突如、保存反対を訴えて、浦上天守堂は取り壊されてしまいました。
この側壁は聖堂の南側の一部で、1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のためこの地に移築されたものであり、壁上の石像はザベリオと使徒である。