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当時川棚には旧海軍の軍事施設が点在してました。此処は、特攻ボートである震洋の訓練所が在った所です。西海橋下をくぐり抜け(当時西海橋は在りませんでしたが)、佐世保港に停泊中の艦船めがけて訓練をしたそうです。
昔はここで特攻兵器である魚雷艇・震洋を造っていたそうです。現在は特攻で命を散らした若者達を鎮魂する為の碑があります。資料館も併設されていましたが、開いていませんでした。
色々な資料や写真などを見ることが出来ます。あらかじめ、川棚町役場で予約をして、鍵をあけてもらわないと資料館には入れません。碑へのお参りはいつでも出来ます。
碑の裏側に亡くなった方のお名前が何百と書いてあり、同じ年頃であろう自分の子供と重ねあわせて、戦地に送り出さなければいけなかった親御さんの気持ちはいったいどれほどの悲しみであったのか、想像するとすごくすごく悲しくさみしくなりました。
小さい展示室が併設されています。この町で特攻兵器のボート(震洋)、潜水士(伏竜)が訓練されました。小さな展示室と実物大の震洋が展示されています。敵の機銃が貫通するような木造船です。敵は震洋が現れると船べりから材木を落とし近づかせないようにしながら(材木に当たったら誤爆してしまう)機銃で攻撃をしたそうです。国の為にという思いを持っていたとしても、物資窮乏で粗末な兵器しか与えられず悔しい思いをしたんだろうなぁ ご冥福をお祈りします。英霊に感謝。