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境内が広い。そして、その境内の中にお堂が沢山あり、そのお堂を巡る巡礼が出来る様です。生葉郡中三十三観音巡りの本部となっております。御朱印有難く頂きました。
禅宗の古刹。境内も掃除が行き届き、広い駐車場もあり、旧生葉郡内を眺望できます。享保5年(1720)6月21日に耳納山地北麓で発生した土石流により、当寺も大きな被害を受けました。「石原日記」には、「生葉郡流川村大生寺仏殿、山抜大石洗出築埋、小僧一人死、仏具等まで洗い流れ大破に及び申し候、尤も寺領田畑一丁余り、永荒に成り申し候」、また、土石流のため「仏殿へ二間四方程の大石、柱一本打ち折り候」とあり、その後の復興にも大変な労力を要したようです。
創建は、奈良時代で行基により民衆救済の道場として造られました。782年には五臺山大聖寺として桓武天皇の勅願寺となっています。月谷和尚時に天台宗の寺となりますが、その後寺は衰退をみます。1392年曹洞宗の無着妙融禅師によって再興され、五葉山大生寺改めます。以来栄え九州三大禅屈の寺として、ニ筑一肥に末寺275ケ寺を持つ本山となります。天正年間には大友氏の焼打ちにあい、寺社消失、寺領没収の憂き目にあいます。1648年になると、久留米藩主有馬忠頼により再興され、梅林寺二世澤雲和尚の高